清州橋そば、清澄のルビアン直営工場の紹介記事にて、
日経新聞夕刊にエーデルワイスの比屋根毅さん取材記事が
あることをご紹介しました。
以下、日経新聞夕刊から引用させていただきます。
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人間発見 エーデルワイス会長 比屋根毅さん
2012/3/9 15:30 | 日本経済新聞 夕刊
本場・欧州の技術を導入するために、提携戦略を積極的に進めた。
創業後は欧州の有名店に出向き、技術の習得に励みました。最高の修業の場としてあこがれたのはフランスの高級食料品店フォションでした。しかしオーナーに会うため、いくら通い詰めても門前払いです。そこで、まず運転手さんに接近しました。柔道を習っていることを聞いていたからです。僕が空手をやっていることを伝えると意気投合。彼の説得でようやくボーリー氏に会うことができました。世界一といわれていたパティシエを紹介してもらい、直接指導を受けました。
1971年、ボーリー氏から技術を日本に正しく伝えることを条件に、提携の意向を打診されました。フォションは世界各地の百貨店から出店要請を受けていた名門です。これ以上名誉なことはなく、業務提携契約をして新聞発表しましたが、落とし穴が待ち受けていました。一足早く日本で、ある企業が「フォション」の名前で商標登録を済ませていたのです。契約はあえなく破談になってしまいました。失敗は成功の母です。技術提携をてこに欧州の一流ブランドを導入するビジネスモデルに着目するようになりました。77年にはスイスのシュプリングリ、89年にはベルギー王室御用達のヴィタメール、98年にはドイツのハイネマンと相次ぎ技術提携しました。ヴィタメールは現在、日本で最も成功した海外ブランドとの評価を得ています。手前みそですが、オーナー一族から信頼もされ、今春、当社はベルギー本社の株式を持たせてもらうことになりました。
有力起業家から企業経営を学び自信を深めていく。
食品関係の勉強会で知り合ったロイヤル(現ロイヤルホールディングス)の創業者、江頭匡一さんは、僕を非常勤の役員に迎えてくれました。まだ職人気質が抜けきれない84年のことです。毎月九州の本社へ行き、役員会に出席させてもらいました。「原価はどうなっている」。江頭さんが質問し担当役員が答えられないと、火が出たように怒ります。上場企業の収支管理の厳しさをたたき込まれました。一緒に非常勤を務めていた三井ハイテック創業者の三井孝昭さんの薫陶も受けました。ある時、資金繰りの窮状を訴えに三井さんを訪れました。決算書を求められましたが、間抜けなことに持っていませんでした。「では、振込先と金額を書きなさい」と言われ、翌日会社へ戻ったら4000万円が振り込まれていました。三井さんからは、経営者の資質として人間的な魅力が欠かせないことを教わりました。
業界のリーダーとして人材育成に力を入れている。
2002年、息子の祥行に社長を譲り、僕は会長に就きました。企業は経営者の器以上に大きくなりません。10年社長をやらせて芽が出なかったら辞めさせるつもりでしたが、どうにか乗り切ってくれました。趣味を聞かれれば、僕は相変わらず「仕事」と答えるしかありません。とりわけ力を入れているのは洋菓子業界全体の人材の底上げです。全国最多の会員数を誇る兵庫県洋菓子協会の会長として、海外研修制度を導入しました。会員企業の中から若手を選抜し、当社の提携先に派遣します。日本が欧州に技術で追いついたといっても、洋菓子の文化、伝統はまだまだ学ぶべき点が多い。当社にはパティシエになることを夢みて、毎年200~300人の若者が門をたたきに来ます。一方で技術を習得し独立していく人もいますが、僕は引き留めません。人材が続々と育っているうえ、各地で活躍してもらえれば業界全体の発展につながるからです。
つくづく数奇な運命をたどってきたと思います。体験を踏まえていうと、人間が成長するために必要なのはチャレンジする精神ではないでしょうか。壁は高く、厚い方がいい。重い荷物を背負った方がいい。僕は今、一番調子に乗っています。仕事がしたくて仕方ない。これからも日本の洋菓子文化の発展に情熱を燃やしていくつもりです。
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